洲 本 城
(上の城・下の城)

洲本城・上の城(兵庫県洲本市小路谷三熊山)
最終訪城日 2002/06/12    撮影日 2002/06/12
三熊山に建つ洲本城復興天守閣(上の城)
 
洲本城・下の城(兵庫県洲本市山手1−1−27洲本市立淡路文化資料館)
洲本市立淡路文化資料館(下の城)
 
金天閣(兵庫県洲本市山手2洲本八幡神社)
洲本城遺構(洲本八幡神社内・金天閣)
 
   
  別  名  三熊城
  所在地 


・兵庫県洲本市小路谷三熊山(上の城)
・兵庫県洲本市山手1−1−27
 洲本市立淡路文化資料館(下の城)
  地  図  MapFanWeb 洲本城
  電  話  なし
  城の種別  山城と平城
  築城者  安宅治興
  築城年  大永6年(1526)
  歴代城主 

安宅治興、安宅清康、仙石秀久、脇坂安治、
池田忠雄、蜂須賀至鎮、歴代稲田氏
  遺  構  石垣、水堀、空堀、書院
  構  造 

三熊山(標高150m)に築かれた上の城と、
麓に築かれた居館からなる城。
  交  通 

洲本バスセンターより登山口まで徒歩10分
山道30分で復興天守
  特  徴 

















洲本城は三熊山に築かれた上の城と、麓に
築かれた下の城によって構成されている。
上の城は大永6年(1526)安宅治興によっ
て築かれたものである。天正9年(1581)、
安宅清康は羽柴秀吉・池田元助によって攻
められ、由良城・洲本城を開城し、翌天正10
年(1582)には、仙石秀久が入城。天正13
(1585)には脇坂安治が城主となっている。
この際、山城が整備されたが、天守閣は築か  
れなかった。本格的な城郭として麓に平城の
洲本城が完成するのは、池田忠雄の際であ
る。その後、大坂の陣の功績により徳島城主
・蜂須賀至鎮が淡路一国を加封され、それ以
降、麓の城が専ら使われ始めた。その後は、
歴代稲田氏が城代を務めた。現在の三熊山
には昭和4年復興の模擬天守が建っており、
そこからは大阪湾が一望できる。また遺構で
ある金天閣が洲本八幡神社内の境内にある。
   

 

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